発酵料理家たやまさこです。
愛猫ミミが居なくなって、旅立ったと思った(その時のブログ)
それがなんと!帰って来たんです。でも様子が、体はあれど魂は抜けている?ミミのようでミミじゃないような…。
鳴かず、最小限の動き。ただただそこに居てくれている。
点滴を止め10日、餌を食べなくなり、少しの水を飲むくらい。もう辛さとかもないようで、何か私に伝えたくて生還してくれ来た。そんな感じがしました。
ミミが帰って来たのが12日。母の退院が13日。在宅介護がスタートするはずが、母の体調不良で14日再入院。そしてミミと過ごす時間ができたんです。
のんびり一緒の時間を味わう。
ミミに癒してもらったと、訪ねて来てくれた方々。
優しい眼差しで、ただ側にいて、穏やかであたたかな愛を感じる存在でした。
クロも大喜びで、ずっと側にいて甘えていました。
16日母のこれからを姉達と話し合いに出かけ、帰宅するとミミが家の中にいなくて。
草むらを探し、息絶えたミミがいました。
腕の中で看取ってあげたかった。
出かけなければ。体力がないから猫の出入り口から出ないと思い込んでいた、なぜ閉めておかなかったんだろ。
後悔が溢れて。
どんな結果であれ「これが人生だよ」ミミがそう伝えに来てくれた。
母を在宅で最後看取ってあげたい。理想を持って、全力投球でこれから在宅介護を始めようとしていた私。
もっと力を抜いて、自然の営みの一部を思い出して。それが真実!
とある方から「亡くなり方は、本人が選択された結果なんですよ」と教えていただきました。
看取る方が「こうありたい」という形と違った場合、引きずってしまう後悔…。
ミミが私に伝えてくれました。
大きな愛。
ミミは朝日が当たる、みなさんが植えてくださったお花に囲まれた場所に。
ミミの亡骸に寄り添ったクロは、ペロペロとなめ「あれ?いつもと違うよ?」ときょとんとし、ミミの周りを走り回り戯れてみたけれど「あれ?動かないよ?」と何度も戯れてました。
埋葬の穴を掘っているとクロも掘り出し、オシッコとウンチをし(苦笑)クロなりの弔いだったのかな?
二日間ほど、土を掘っていたクロ
私だけではなく、ご縁ある方々にも、気づきと学びをプレゼントしてくれたミミでした。
命あるもの必ず「死」を迎えます。
今、どう生きる?何を選択するの?
一度死ぬかもを経験した私にとって、後回しにすることや、表面的付き合いをしない、めんどくさく感じることが無いのも、「自分を裏切らない」今まで飼った猫達が教えてくれた「生きる」が心に刻まれているからなんだろうな〜と、ミミとのお別れでしみじみ感じています。