発酵料理家たやまさこです。
認知症でグループホームに入所中の父、要介護1から要介護3に区分変更となりました。
今年88歳になる父の記憶があるうちに、母や私たち娘(私三人姉妹なんです)との時間を過ごさせてあげようと、
外泊を希望してましたが、コロナで延期になりました、
勝手に両親はピンピンコロリいくものだと思い込んでました。まさか自分が介護をするとは想像もつかなかった数年前。
年老いていく両親をみていると、人生の半分まで来た私のこれからを考える事が増えました。
父の友人が父が居なくても、父が居た時のようにお野菜を持ってきてくださったり、母の様子を気にかけてくださる方々。
そして、私の友人達も何かあると駆けつけてくれます。
これからの時代、助け合えるコミニュティはとても大切になるはず!
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ここまでの文書を1月末に書いていました。
2月4日肺炎にて父が永眠。
普通に病院を受診し、肺が真っ白で酸素が足りなくて、炎症を押さえる治療が始まりましたが急変し、病室で私が看取ることとなりました。
コロナ化の中、外出をしていない私だったので、車の中で検査をして、結果が出るまで車で待っているはずが、病室でPCR検査をしてくださり、父に付き添い看取ることができました。
あのまま車で待っていたら父の旅立ちに間に合わなかった。父の選択は看取って欲しいだったんだと思います。
以前、その亡くなり方は本人が選択したコトだから、もし1人で旅立たれても後悔しなくていいと教えていただきました。
2月5日私が出かける予定だったので(コロナでお出かけ延期)母の見守りを頼んでいた友人が、4日からお泊りに来てくれて、通夜前、葬儀、火葬場へと母を連れてきてくれました。
友人が居なかったら、母はショートステイに入り、父の最後に会うことも、葬儀に参列くださった方々にお礼をつたえることも出来ませんでした。
何かあった時に助け合える人達がいるって、ほんとうに有難く幸せなことですね。
生前父に大変お世話になったんですと、葬儀が終わってからも訪ねてくださる方も多く、人とどのようにかかわってきたか、人生を終わる時にわかるんだろうなぁ~。
私も先日56歳になりました。
ここからの人生、お前はどうしたい?
囚われることなく、自分の千里眼を磨く。
誰かの人生ではなく、私は私の人生を軽やかに完うする。
高齢者の両親からの問いへの私の答え。
お悔やみに来てくださった皆様、訃報を聞いてご連絡来てくださった皆様、お花も沢山ありがとうございました。
涙なくいい思い出となったお葬式でした。
棺にはジャケットをいつも着ていた父だったので、ツーピースとネクタイ3種類と、お気に入りのコートを入れてあげました。
みかんが大好きだったので、ミスドのポン・テ・リング風に顔まわりに飾ってあげました。
笑いいっぱいのお葬式、長い間会ってなかった親戚と語らう時間でもありました。
苦しむこともなくあっという間に逝った父!あっぱれです。