発酵料理家たやまさこです。
友人たちに、介護をしているのに悲壮感ないよねぇ~と言われ数か月。
元気な認知症の父と、要介護5の母。
2月から入院中の母の所へは二日に一度顔を出してますが、コロナ感染対策で、面会時間が短く、人は日常生活から離れ、会話やコミニュケーション、刺激がなくなると、こんなにも認知能力が落ちていくのかと愕然としています。
親の老いを通して、自分の老後を想像。
食事の量が減る、消化力や筋力が落ちる、思考能力の低下などなど。日々どう暮らしているか、とても大切なんだぁ~と気づきました。
自分の為の食事や運動、自分の心地いいと感じる選択は、悦びに満ち溢れる日々へと変わる体験をしてから、自分を裏切らない日々。
わがままに生きるという事ではなくて、嫌な事はしない!という事でもなく、なぜ嫌なんだろう?不快なんだろう?と自分を俯瞰しています。そうすると、過去の事や家系で受け継いだ事が私の場合は、自分の気づきで清算されて、嫌な事や不快なことに感じる出来事が少なくなって、そういう出来事が起きると、次は何の清算だろうと逆にワクワクしたり(笑)
すべての出来事にやっとやっと、心から「ありがた~い」と思えるようになりました。
お会いした事のない方が、私に何かを感じてくださっているのなら「意図」がないからかも。
ビジネス戦略もなくて(笑)でも大切にしていることに一貫性はあります。
経験した事しかお伝えしない。それが本当かを自分で経験しないと嫌なんですよね~(笑)こういう「ちゃんとする」は母から厳しく言われてきたお陰。人前で話したり社交性があるのは父譲り。
天然ボケは、現在認知症の父譲り?(笑)
風邪薬といって、バスバブを削って飲もうとしていた父。
えぇ~とパッケージを見たら「この一錠で」って書いてました(笑)飲み薬にしたら大きすぎるやろう~(笑)
人から見たら、大変なのかもしれない。でも「大変」は、「大きく変わる」時。
人はいつか人生を終える。いつ終わっても悔いのない日を過ごすことを、両親が見せてくれてる。
そして、自然の営み、生と死、命をつなぐ繰り返しに触れさせてもらう度に、人も昔は同じように営んできたんだろうなぁ~と、今と昔は違うし、昔の暮しに還る事は出来なくても、そこにこれからのどう生きて終えるかのヒントがあるように思います。
あんなに勝気だった母が、生きる意欲をなくし、このまま施設に入ってもどうなんだろう?かといって元気な認知症父も居るし。
母を在宅で見てあげたい気持ちと、仕事と…
今日は介護に詳しい方の所へ、色んな提案をしてもらいに行ってきます。
それぞれの最善。