発酵料理家たやまさこです。
発酵が日常に普通にあると、特別なことではなくなります。
目的が作ること
目的が美味しく作って食べる。
暮らしの営みの一部になる。
同じようでも違う。
発酵は良いとされるものを掛け合わせても、良いものにならない場合もあります。
以前、自家製キムチ(発酵を止めていない)にへしこの糠を入れたら美味しいはず!と入れてみました。
数日は美味しかったのが、ある日からえぐみや雑味に変わったんです。
なぜかというと、発酵が進み、へしこの糠のタンパク質や脂質などが分解されて、味の変化につながりました。
水の代わりに豆乳で作る甘酒も、私には少しピリピリと舌の側面になにやら感じるし、通常のレシピより時間を短くして工夫をすると、美味しく出来たり。
麹を使うと、何かを分解し続ける。
ここポイントです。
良いものと良いものを合わせれば、良いものが出来るとは限らない。
先人たちの知恵は本当に素晴らしく、今の時代に合わせた工夫は出来ても、この知恵や工夫を超えるなにかはそうそうないのかもしれません。
先人達が私達に残してくれた発酵の知恵や日常を生きることを、大切に紡いでゆきたい。
今、発酵・薬膳・野草がブームの中、浅い情報もたくさんあります。
ブームを引っ付けて新しいものとして発信する。
新しいことを発信することで、ビジネスにつなげないといけないので、あの手この手が必要になるのもわかります。
商品開発や学者さんとご一緒させていただいた中で、安易に考えつくことでも、世に出てないものには、意味があることを知りました。
それは、すぐに食べる(家庭で)なら大丈夫でも、時間が経った時の変化やそれぞれの保存管理によって、発酵が変わってしまう。
発酵を止めていないキムチにキノコを入れると、美味しそうだけれど、二日酔いのような症状が出たんです。推測ですが、アセトアルデヒドのような物質だったんだと思います。
私は、発酵の同じキーワードの論文を色々読み、自分のやってきたことと照らし合わせる。
それでも分からないことは、専門家の方に相談させていただいています。
かいつまめる情報社会だからこそ、自分で実践し、かみ砕き、自分なりですが裏付けの確信が持てるものだけを、お伝えしたい。
発信の責任ありますよね。
自分でも不器用だなぁ~と実感していますが、これが私なんです(苦笑)